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東京地方裁判所 平成元年(ワ)13692号 判決

② 事 件

原告

三 浦 和 義

被告

安 部 直 也

右訴訟代理人弁護士

芦 刈 伸 幸

星 川 勇 二

主文

一  被告は、原告に対し、金一00万円及びこれに対する昭和六三年一0月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。ただし、被告が金三0万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実および理由

第一請求

被告は、原告に対し、金五00万円及びこれに対する昭和六三年一0月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、文筆業の被告(筆名「安部譲二」)が週刊誌に発表した文章による原告の名誉毀損の成否が争われた事案である。

一争いない事実

被告は、「週刊朝日」昭和六三年一一月四日号(同年一0月二六日発売)の誌上に、「安部譲二―ロス疑惑おれが裁く」というタイトルを付した別紙内容の文章(本件文章)を寄稿し、発表した。

二争点

1  本件文章の内容は、原告の名誉を毀損するものであるか。

2  本件文章の内容は、公共の利害に関する事項を扱い、公益を図ることを目的とし、公正な論評として、違法性のないものであるか。

(被告は、本件文章の内容が真実であることの立証はしない。)

第三争点に対する判断

一(名誉毀損の成否)

本件文章は、全体として、原告が殺人を犯して保険金を取得しようとしたとの事実を摘示するもので、原告の社会的評価の低下を招く内容のものである。

右週刊誌の発売当時、原告が妻の殺害を図ったとして殺人未遂罪で起訴され、昭和六二年八月、当庁において有罪判決を受けて控訴し、また、同六三年一0月二0日、妻を殺害した容疑により逮捕されたこと、及び右各犯罪について多くの報道がされてきたことは、公知の事実である。しかしながら、右犯罪については、当時、裁判所において審理中であるか、又は強制捜査が開始されたところであって、一方については第一審の有罪判決がされたものの、いずれについても、確定した有罪判決はない。

名誉とは、人がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価を指す。本件についてこれを見ると、右週刊誌の発売当時、原告が置かれていた前記認定の事情の下では、原告が右犯罪の犯人であることを前提とする社会的評価に甘んじなければならない筋合はない。しかしながら、また、当時、確定した有罪判決がないからといって、原告は、右犯罪の犯人でないことを前提とした社会的評価を享受しうべきものではなく、一方については第一審の有罪判決を受け、他方については強制捜査がされている事実を前提とする社会的評価を享受しうるにとどまる。

人の社会的評価は、警察等の捜査機関が強制捜査に着手した事実が公に明らかになると大きく低下し、確定判決によって犯人と判定されたときに最も低下した状態に達するものと解される。本件文章は、確定判決によって犯人について判断がされる前に、原告が右各犯罪の犯人であると指摘するもので、一つの犯罪について第一審の有罪判決を受け、他の犯罪について逮捕されたという事情の下にいる原告が享受している社会的評価を更に低下させる内容のもので、それが週刊誌に掲載されて公にされたことにより、原告の名誉は毀損されたと認められる。

前記のとおり、右犯罪について多数の報道がされているが、右事実は、本件文章によって原告の社会的評価の低下が生じたことを否定する理由となるものではない(多数の報道中に原告の名誉を毀損するものがないのであれば、これらを本件文章と同列に扱うことはできないし、逆に、右報道中に本件文章と同様に原告の名誉を毀損するものがあるとしても、本件文章による原告の名誉の毀損の結果を否定する理由とはなりえない。)。

本件文章は、犯罪を内容としており、公共の利害に関する事項を扱うものと解し得るが、被告において内容の真実性(原告が前記各犯罪の犯人であること)の立証をしないと表明しており、本件文章の内容が真実であること又は右内容が真実であると信ずるについて相当の理由があることを理由とする免責を認めることはできない。

二(公正な論評による不法行為の免責)

前記各犯罪は、公共の利害に関する事項、又は一般公衆の関心事に該当し、これについては、何人も論評の自由を有し、論評が公正である限り、論評者は、論評によって他人の名誉を毀損する結果を生じても、不法行為責任を免れる。そして、公務員の行為等、民主主義社会の基礎を維持するという報道機関の本来的役割に属する事項に関する論評は格別、これと異なり、一般大衆の低俗な興味を満足させるためのものに過ぎない事項に係る論評は、その主要な部分について真実であるか、又は真実であると信ずるにつき相当な理由がある場合に不法行為責任を免れることができる。公務員の行為が適正に行われることは、国民一般の利益に適うものであり、その確保のための論評の前には個々の公務員の利益は後退を余儀なくされるのに対し、犯罪として一般公衆の関心事となっている事項に関する論評は、これによって侵害される他人(当該犯罪の容疑者等)の権利の保護との間に調整を図る必要があるからである。裁判所において審理中の犯罪に関する事実は、特に犯罪の成否が争われている場合には、それだけで一般公衆の強い関心を引くもので、これについて報道又は論評がされることはなんら妨げられないが、裁判所における審理中であって、犯罪の成否にも争いがあるにもかかわらず、当該刑事事件の被告人を犯人と決め付けた上で論評を加えることまで許されるものではなく、このようなものについて、論評の名の故に他人の権利の侵害を許容するのは相当でない。

本件文章は、その内容からすると、事実を報告するものというよりは、事実を基礎にして被告の意見を表明することに主眼があるもので、広い意味では、論評に当たると解しうる。

本件文章は、原告が妻を殺害した犯人であると断定し、これに無期懲役の刑が相当であるとの被告の意見を表明したものである。しかしながら、被告の指摘するところは、原告の性向、人格に関する被告の評価等直接的には右犯罪にかかわりのない事項か、又は未だ立証されていない殺害の方法等に関する事項であって、原告を犯人と断定する資料となりうるものはなく、およそ公正な論評の基礎としうる事実の指摘を欠く。また、原告に関する描写も、「ハングレ」、「手前勝手」などと侮蔑的な表現が用いられている。事実を基礎にした公正な論評においては、表現が激越又は辛辣であっても、これによる他人の社会的評価の低下について名誉毀損の責任を問われることはないが、本件文章のように、論評の基礎となる事実の指摘に欠け、また表現も侮蔑的なところがあるものについて、公正な論評の法理による免責を認める余地はない。

三(損害)

本件文章により、原告は、社会的評価を低下させられ、損害を被ったが、原告は、妻に対する殺人未遂の罪について第一審の有罪判決を受け、また、妻に対する殺人の罪について逮捕されたという事情の下にあったから、このことを考慮すると、原告の名誉毀損による損害の賠償額は、一00万円をもって相当とする(これには、本件文章が公表された日である昭和六三年一0月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を付して支払うことを要する。)。

(裁判長裁判官江見弘武 裁判官小島正夫 裁判官片田信宏)

別紙本件文章

「安部譲二―おれが裁く」

三浦和義氏は私の見たところハングレの典型で、ハングレというのは、商売人のゴロツキに対して、半分グレているという蔑称なのだ。

ハングレの常として、小利口で弁が立つのだが、絵図を画いても手前勝手で、しかも急所で経費を惜しむところがある。

だから、女を殺して保険金をせしめようとした絵図でも、肝心な場面で商売人を使わずに、身近に居た素人を安く使ったのだ。

まんまと保険金は手に入れたのだが、結局、そんなところが命取りになって、私に判決を申し渡される破目になった。

プロを雇わなかったのは、ハングレの哀しさで、腕のいい男を知らなかったこともあるのだろうが、むしろ仕事が済んでから開き直って、脅迫されるのが怖かったに違いない。

……(中略)……

……けど、この事件が起訴されるのも有罪判決を申し渡されるのも、全財産はおろか稿料を前借りして、九匹の猫まで一緒に賭けたいほど確実だと、恥ずかしいけど経験で分かる。

さあ、私の判決を言ってみよう。

被告、三浦和義と大久保美邦を恩赦も大赦もなしの無期懲役に処す。

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